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更新日:2015年8月6日

唐津城の築城

城下町唐津の土台づくりをした人、寺沢志摩守広高

唐津は、江戸時代の城下町の町名や町割りなどがほとんど変わらずに残っています。米屋町・魚屋町・呉服町などの町名を聞くと江戸時代に活き活きと米や魚、呉服を商ったりしている人々の姿が浮かんできませんか。唐津城を築き城下町唐津の基礎を築いた人が、唐津藩初代藩主の寺沢志摩守広高(てらざわしまのかみひろたか)です。

志摩守は永禄(ぶんろく)6年(1563年)、尾張国(愛知県)に生れました。初めは織田信長に仕えていましたが、やがて豊臣秀吉の家臣になり秀吉の朝鮮出兵の時は秀吉お気に入りの武将として加藤清正(かとうきよまさ)や小西行長(こにしゆきなが)らと名護屋城築城にたずさわるなど活躍しました。

唐津東松浦地方は、岸岳城主波多三河守親(はたみかわのかみちかし)や鬼ヶ城主草野鎮永(くさのしげなが)の領地でしたが、両者とも秀吉の怒りに触れ領地を没収され滅亡します。その後を受けて、この地方を治めるようになったのが志摩守でした。志摩守は、この地方を発展させるためには唐津湾に面した場所に城造りをする方がいいと考えました。そこで、名護屋城築城のときに砦(とりで)を構えたとみられる場所に唐津城を築くことにしました。城は慶長七年(1602年)から7年の歳月をかけて完成したといわれています。

志摩守は城を築くとき、松浦川・波多川(徳須恵川)・神田川(町田川)の流れを変えて、川口を一筋にする大工事を行っています。古い記録によれば松浦川は双水より夕日山の麓(ふもと)、柏崎の鼻先を通り、鏡山の北山麓に沿って流れていた玉島川と赤水付近で合流、今の城内二の門堀の所から海へ注いでいました。波多川は養母田の山すそを通り和多田から唐津商業高校(元石町)の裏の谷間を流れ、愛宕山の下を通り唐人町で二手に分かれ一方は二の門堀の方へ、もう一方は菜畑で神田川と合流して二タ子の江ノ尻から海へ注いでいました。

志摩守は松浦川と波多川を養母田の川原屋で合流させ、川幅を大きく広げて和多田の方へ流し満島山(唐津城本丸)の東麓の砂州を切り開いて海へ注ぐようにしました。また、長松より菜畑を通り二タ子の江ノ尻で海へ注いでいた神田川も町田川と改名し、流れを東の方に変えて松浦川の川口に合流させ今のような川の姿にしました。
これにより、これまで雨が降るたびに洪水に悩まされていた土地を城下町の一部や実りの多い田畑に変えることに成功しました。

このような川の大工事には多くの農民達が働きましたが、一番の難工事は松浦川の川口近くの堤防工事でした。この場所は海に近いため、潮が逆流して水量が増える所です。ここで、松浦川を西に曲げる工事をしなければなりません。何度堤防を築いても水の勢いで流され、工事は失敗の連続でした。困り果てた志摩守は難工事を成功させるためのいけにえとして人柱を立てることにしましたが、人間の命の尊さを説く安養寺(あんようじ)の宝誉上人(ほうよしょうにん)の進言を聞き入れ、人柱の替わりにこれまで松浦川の洪水で亡くなった多くの人々の霊を供養するために千本の塔婆(とうば)(お経を書いた細長い板)を造り、これを土手に埋め仏の力を信じて堤防を築くことにしました。こうして長さ788間(約1400メートル)にも及ぶ堤防工事は見事完成しました。工事の成功を喜んだ志摩守は、近くの松原に千仏院(せんぶついん)を建て千体の阿弥陀仏(高さ約20センチ)を祀って(まつって)上人に感謝しました。堤防が築かれた付近は、千人塚と呼ばれています。

志摩守は、唐津城の築城と同時に城下町作りに取りかかりました。寺沢時代の城下町絵図を見ると、現在城内と呼んでいる侍屋敷のあった二の丸や三の丸ばかりでなく内町と呼ばれる町人の住んだ町も堀で囲み、木戸(出入口)は、東の札の辻、西の名護屋口、南の町田口に限られています。これは、敵の攻撃に備えた城下町作りであったことをうかがわせます。

内町は東西と南北に規則正しい道路が設けられ、新町・八百屋町・米屋町・呉服町・中町・本町・木綿町・紺屋町・横町・鷹師町の町名が見られます。札の辻橋を越えた東の外町には、材木町・塩屋町・魚屋町・大石町・水主町などがあり、名護屋口を出た西側には寺町・弓町・のぼり町・鉄砲町(後の江川町)の名が見られます。

多くの困難を乗り越えて松浦川の大改修を行い、唐津城と城下町づくりに取りくんだ志摩守の功績は彼が植林したといわれる虹の松原の美しい眺めと共に末長く私達の心に残ることでしょう。

エピソード・伝承・うんちくなど

「殿様の七本の松」の話…「自然」の部「虹の松原」を参照

地図・写真・統計資料など

松浦川・波多川・神田川

松浦川・波多川・神田川

―昔の流れと今の流れ―

現在の千人塚付近

現在の千人塚付近

(『郷土につくした人々』より)

引用・参考文献(出典)

  • 『郷土につくした人々』~ふるさと唐津の偉人たち~
    「自然」の部「虹の松原」を参照

参考文献について

参考文献については、近代図書館が所蔵している資料もあります。

資料についての問い合わせは近代図書館までお願いします。

電話番号:0955-72-3467

唐津城の築城

唐津城の築城PDFデータ(PDF:210KB)

唐津城の築城PDFデータ(PDF:209KB)

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問い合わせ

文化振興課 

佐賀県唐津市西城内1番1号

電話番号:0955-53-7129