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更新日:2015年3月1日

移住者体験談>大木敏朗さん

ビッグウェーブに魅(ひ)かれて関東から唐津へ
サーファーが開いた山の蕎麦屋

  • 大木敏朗(おおきとしろう)さん
    蕎麦店経営/唐津市七山在住

関東からサーフボードと共に九州へ

大木さんと蕎麦屋の写真

唐津市七山で第一の観光スポット「観音の滝」の入口に、小さなお蕎麦屋さんがある。入ると「いらっしゃい」と気さくな笑顔で答えるご主人が、この店を営む大木さんだ。

日焼けした肌に大きな眼、彫りの深いお顔にヒゲがよく似合う、若い頃はきっとモテたに違いない。それもそのはず、大木さんは唐津周辺の海ではその名をよく知られたサーファーで、若い頃から毎週欠かさず唐津の波に乗り続けてきたという。
大木さんは九州の生まれだが小学校から関東に移り、やがて就職・結婚。湘南の海でサーフィンをしながら楽しい暮らしをしていた。しかしご両親が退職を機に出身地の九州に戻った際「こっちに来い」と言われた。大木さんにとってみれば九州は馴染みの無い土地。最初は行く気は無かったが、ある時サーフィン雑誌で見た唐津の大波に心を奪われ、九州移住を決めたという。
フォルクスワーゲンに家族とサーフボードを積み、一家で九州にやって来た大木さんは、佐賀県の神埼に職場と自宅を得た後、約15年間、毎週2回のペースで唐津の海に通い続けた。いい波が立ちそうな日は仕事を休んで海に行くほどサーフィン漬けの毎日。「サーフィンは人生だ」とよく聞くが、まさに大木さんは人生の大部分をサーフィンに捧げていた。

サーファーがなぜか山の中で蕎麦打ちに

蕎麦打ちの作業風景

造園の仕事で収入も安定していたが、会社の方針に疑問を持つことも多かった大木さん。そんな中、腰のヘルニアで入院したベッドの上で、当時別荘代わりに借りていた七山の古民家が頭に浮かんだ「そうだ、あそこで店をやろう」。そうと決めたら奥さんの制止も聞かずに会社を辞め、七山への引っ越しを決めてしまったという。
「今思えば無茶苦茶ですよね。それまで人に料理を出したことなんて無かったのに」と笑う大木さん。確かにかなり破天荒な人生である。子どもたちは大きくなって家を離れていたので、奥さんと2人での新生活だった。
50歳で始めたお店の名は「夢屋」。携帯電話も通じない山奥にある朽ちかけた民家だが、持ち前のセンスで趣のある感じに仕上がった。料理は蕎麦を中心に猪鍋やヤマメなど、山里らしいメニューで予約客をもてなした。しかし、夏場はそれなりに繁盛したものの、冬場は誰も来ず、経済的にも苦しい日々が続く。うまくいかない日々に夫婦喧嘩も絶えなくなり、奥さんはとうとう東京に戻ってしまった。
「そりゃ当然ですよね。関東で会社勤めしてたのに、いきなり九州に行くと決めるし、九州に来たら今度は蕎麦屋なんか始めるし…」確かに奥さんが気の毒になって来る。
しかし、そこは夫婦の絆が強かったのか、やがて家出した奥さんは大木さんの元に戻り、自身も夢だった保育士の資格を53歳で取得し、今も保育士として生き生きと働いているそうだ。

「人生は一度きり」好きな事をして生きたい

ギターを弾いている大木さんの写真

こうして素晴らしい奥さんに支えられながら、夢を求め続ける大木さんは好きな蕎麦屋を続けている。山奥の店舗はお休みし、人の集まる滝のそばに店を借りて営業を開始。忙しい夏場は朝から晩まで蕎麦を打つ毎日だ。
人生は波乗りのように波瀾万丈だが、大木さんの打つ十割蕎麦は美味しいと評判でファンも多い。興が乗るとギターを弾きながらブルースやフォークの歌を披露することもあり、その腕前は時々ライブハウスで演奏をするほど。落語も大好きなので店で落語ライブを企画することもあるという。
以前ほどではないが、今も唐津の海に通っている大木さん。これから先の人生をお尋ねすると「収入は生きて行けるだけあればいい。それよりもこれからは人のためとか、唐津の海とかのために何かできないかと思ってます。人生は一度きりだからね。これからも好きな事をやりますよ。」と笑う。
聞けば聞くほど破天荒な人生だが、無邪気な心が人を引きつける、そんな不思議な魅力を持った方だ。

インフォメーション

  • 大木さんのお店

    • 十割手打ちそば観音茶屋「夢家」

      • 住所…唐津市七山「観音の滝」入口
      • 電話…0955-58-2951
      • 営業時間…12時00分~19時00分(季節により変動あり)
      • 定休日…不定休

蕎麦打つ大木さんの写真

蕎麦の写真

問い合わせ

企画政策課 

佐賀県唐津市西城内1番1号

電話番号:0955-72-9115