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更新日:2015年3月1日

移住者体験談>久保居さん

「経験が無くても頑張ればできる」夫婦でアワビやカキの養殖に成功

  • 久保居 喜一さん・多嘉子さん
    漁業/唐津市鎮西町在住

やむをえず始めた唐津での生活

久保居さん夫婦

久保居さん夫婦が東京から旧・鎮西町(現在は唐津市)にやって来たのは、バブル期が始まろうとしていた1986年のこと。諸般の事情から、当時二人で一緒に働いていた幼稚園の先生を辞め、鎮西町にある多嘉子さんの地元に住むことになった。
岩手県出身の喜一さんは農業や漁業の経験が無かったため、東京で免許を取得して身入りも良かったクレーン操縦の職を求めたが、東京よりずっと賃金が低いのに驚いた。「東京では多い時には月40万以上の収入があったのに、ここでは10万以下。やっていけないから、単身で稼ぎに出るつもりだった。」と言う。
しかし、当時鎮西漁協の組合長をしていた多嘉子さんの父親から頼まれ、3ヶ月間手伝うだけのつもりで漁協の事務員となり、結局はそのまま唐津に住み続けることになった。
当時の鎮西漁協は日本で初めてアワビの養殖に成功し、多嘉子さんの父はその先駆者であった。喜一さんも見よう見まねでアワビ、ウニ、緋扇貝等の養殖に取り組み、休みの土日を使っての副収入でなんとか家計を支えてきたという。
それでも最初は思ったように収益が上がらず、貯蓄を取り崩してしのぐ日々が続いた。


栽培漁業に活路を見出す

栽培漁業の作業風景

がむしゃらに働くうちに、やがて養殖の要領も覚えた喜一さんは、岩手で本場のカキ養殖を知っていたこともあって、静かな内海の連なる東松浦半島の海に目をつけた。3人の息子さんの大学進学もあったため、思い切って組合を辞め、退職金の半分を学資、もう半分を養殖設備に投資して、プロの漁師になったのだ。特にカキ養殖は東松浦で初めての試みだった。
カキは栄養分が豊富な川の水が流れ込む海でないと甘みが出ないという。喜一さんの見込みは当たり、やがて良質のカキが揚がるようになって、今では冬場の大きな収入源だそうだ。
カキも大事だが、主力はやはり養殖発祥の地という誇りがあるアワビだ。アワビ養殖はまず1センチほどの稚貝を買いつけ、2年から3年で5~6センチに成長したところで出荷して「ひとくちアワビ」の名称で親しまれている。
さらに夏場はウニを出荷するなど、今では一年を通じて安定して出荷できる環境が整ってきた。収入も「大きくはないとはいえ安定してきた」そうだが、最近は温暖化の影響なのか、カキやアワビの収穫量が落ちているのが心配だという。
「養殖もお百姓さんと同じで温度や気候の影響を受けやすいんです。収入が多い時もあるけど、無い時はゼロ。海は陸の畑より収穫までに時間がかかるから、3年は収入が無い覚悟をして、しっかり準備して始めないといけません。」と、その厳しさを語ってくれた。

大変だけど、楽しさもある

久保居さん

しかし、もともとダイビングが趣味で海の仕事をしたかった喜一さん。仕事が「楽しい」と感じることも多いという。「沖に出る漁師は素人には無理だけど、養殖は違う。やる気があって勉強すれば経験が無くてもできるんです。デスクワークより外での仕事が好きだし、うまく育って水揚げが多いとやはり嬉しいですよ。」と笑う。
3人の息子さんも就職や進学で家を離れ、少しだけ時間と気持ちに余裕が出た喜一さんは、子育て終了記念に多嘉子さんからサックスをプレゼントしてもらい、昔からやってみたかったジャズのビッグバンドに入った。腕前は「まだまだ」だが、どんなに疲れていても日曜日の練習は欠かさないという。
一方、多嘉子さんも様々な苦労はあったものの、田舎ならではの楽しみも多いという。「テレビでは田舎の良いとこばかり強調されているけど、健康保険料や税金も都会より高いし、冠婚葬祭の交際費も意外にかかります。だけど田舎でのびのび育った子どもは性格がおおらかになるようで、そこが一番いいところかな。周囲に家も少ないので気兼ねなく暮らせるし、なんといっても海のそばで景色が良いです。ここに住むんだから、ここでの楽しみを見つけていかないといけませんね。」
思い描いた暮らしではなかったかもしれないけれど、3人の子どもを育て、地域の産業に貢献してきた久保居さん夫妻。今日も二人で海へ向かう。

インフォメーション

  • 久保居さんの作った海産物の問い合わせ

    • 玄海みなとん里

      • 唐津市湊町777-1
      • 電話:0955-79-0709
  • 久保居さんのジャズバンド

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佐賀県唐津市西城内1番1号

電話番号:0955-72-9115