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更新日:2015年8月6日

北原白秋と唐津の民謡

北原白秋(1885年1月25日~1942年11月2日)は、日本の詩人・童謡作家・歌人です。本名は、隆吉です。福岡県柳川出身です。詩・童謡・短歌以外にも新民謡の分野にも傑作を残しました。生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く残すなど活躍した時代は「白露時代」と呼ばれる近代日本を代表する詩人です。

旧制伝習館中学に進学しますが、この頃より雑誌「文庫」「明星」に傾倒(けいとう)詩歌に熱中し父親に無断で中学を退学します。早稲田大学英文科予科に入学後、いち早く新進詩人として注目されます。1906年新詩社に参加し、与謝野鉄幹、与謝野晶子、木下杢太郎、石川啄木らと知り合いました。

1907年、鉄幹らと九州に遊び(『五足の靴』参照)唐津に滞在しました。
1930年5月に制作された「唐津小唄」は42章からなり唐津の地名や故事をふんだんに使い、「唐津、唐舟とんとの昔・…」以下は各章に繰り返し歌われています。「唐津小唄」の版権が「北九州鉄道(当時唐津に本店を置いた、福岡から唐津経由伊万里までの鉄道会社)」であったことから、その当時の唐津の経済史とも関連があり興味深いです。またその当時、北原白秋は新進作曲家の町田嘉章(まちだよしあき)とコンビで多くの創作民謡を手がけており、「唐津小唄」と「松浦潟」(ともに1930年作)もこの2人の名コンビで生まれ花柳寿徳(はなやぎかずのり)の振付も相まり、広く市民に親しまれてきました。

エピソード・伝承・うんちくなど

北原白秋は2度呼子の山下家を訪れた

樺太(からふと)旅行の汽車の中で「松浦漬」創始者の三男と意気投合し、呼子の山下家を訪れると約束しました。1907年と1929年の2回、山下家の別荘で過ごしています。「ひばりヶ丘」は、その別荘があった場所で白秋が名づけたと言われています。また、「水光呼子」というキャッチコピーは、白秋の故郷「水郷柳川」に対して「水光る街、呼子」から白秋が呼んだという説もあります。ともあれ、お酒をたしなみながら数日間過ごし、「唐津小唄」「松浦潟」の創作をし「松浦漬音頭」まで創作したと言われています。

引用・参考文献(出典)

  • 「北原白秋と唐津小唄」横尾文子文
  • 「北原白秋地方民謡集」

参考文献について

参考文献については、近代図書館が所蔵している資料もあります。

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電話番号:0955-72-3467

北原白秋と唐津の民謡

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