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更新日:2015年8月6日

下村湖人(しもむらこじん)と唐津

下村湖人(しもむらこじん)(1884年10月3日~1955年4月20日)は、日本の小説家・社会教育家です。本名、虎六郎と言い神埼郡(現神埼市)出身です。佐賀中学校時代から雑誌に詩歌を内田夕闇(うちだゆうあん)の筆名で投稿し、熊本の第五高等学校時代からその文才は五高随一(ごこうずいいち)と言われました。

東京帝国大学英文科を卒業後、学資支援を受けていた下村家の長女菊千代と結婚し養子に入り、旧制佐賀中学校教師を経て1918年11月に旧制唐津中学校教頭として唐津に赴任し、西の浜で親子4人の水入らずの生活が始まりました。旧制鹿島中学校校長として3年間唐津を離れますが、その後旧制唐津中学校校長として唐津に戻ります。1931年に教職を辞し(じし)、1933年から1937年までに大日本青年団講習所所長を務めます。当時、筆名を虎人と変更しましたが1932年に筆名を虎人から湖人に変更し、1936年から代表作といえる小説「次郎物語」の連載を雑誌「新風土」で開始しました。1954年までに全5部を刊行しますが、第7部まで続く予定は病のため果たせず、1955年に70歳で死去しました。

旧制唐津中学校在職中にいくつか校歌を作詞しており、その中で「天日かがやき」は昭和25年(1950年)に新制唐津東高校校歌として制定され、歌詞の「光」「力」「望」はそれまでの校歌を一新し、教育者湖人の理想をこめた気宇壮大なもので佐賀県・長崎県の多くの校歌に影響を与えたとされます。中高一貫となった唐津東中高の校歌として現在も歌い継がれています。また唐津第一中学校の校歌の作詞も手がけ、昭和27年に制定されて以来、現在も歌い継がれています。

エピソード・伝承・うんちくなど

エピソード:「ローマ法王」

唐津の町に仲道屋という料亭がありました。ある晩、その2階で職員の宴会をやっていましたが、たまたまその下で会議中の町の学務委員会が2階の騒ぎがあまり激しく再三忠告するも静まらず、とうとう1人が「大事な教育問題の打合せをしている。教員が騒ぐとはけしからん」と怒鳴りましたが、湖人はムッとして「構うもんか。やれやれ、大いに騒げ!」とハッパをかけたので一座はいっそうにぎやかになりました。
翌日の夕刊に「中学教師料亭でさわぐ」と大見出しで教頭を槍玉(やりだま)に書き立てますが、湖人は一言も謝りませんでした。しばらくして、佐賀県下の教員大会が開かれ、その当時その弁説で有名だった湖人はその日も名講演で場内を酔わせました。そして、最後に新聞記事にふれ、「いやしくも神聖な教育問題を料理屋で議するとは何事であるか。料理屋は、飲んで騒ぐ所である」と言いました。それ以来、下村教頭の名声は急に高まり「ローマ法王」という尊号を得ました。

引用・参考文献(出典)

  • 唐津東中・高校校歌「天日かがやき」唐津第一中学校校歌
  • フリー百科事典『Wikipedia』
  • 『次郎物語と父下村湖人』(明石晴代著)
  • 唐津東中学校・高校HP
  • 唐津第一中学校HP

参考文献について

参考文献については、近代図書館が所蔵している資料もあります。

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電話番号:0955-72-3467

下村湖人(しもむらこじん)と唐津

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