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更新日:2015年8月6日

万葉集と松浦地方

なんと30首がこの地方に

「万葉集」は現存する我が国最古の歌集であり、全20巻に4,500余首が収められています。その成立年代は、八世紀末(奈良時代末期)または九世紀初期(平安時代初期)と言われています。

作歌の舞台も大和地方を中心に、ほぼ全国に及んでおり、九州のものも少なくありません。

「万葉集」にあげられている肥前国(佐賀県内に限定)に関するものは38首で、松浦地方関係のものが30首あります。

松浦地方関係のものは、玉島川のものや佐用姫を偲んだ(しのんだ)もの、そして気長足姫(おきながたらしひめ)(神功皇后)のことが主体ですが、これらは太宰府の官人達が、松浦に遊んだ時のもので、著名な歌が多くあります。そのほかに派遣船に乗って、遠く大陸へ旅する人達が狛(こま)島亭(とまり)(神集島(かしわじま))で旅愁(りょしゅう)の心情を詠った(うたった)もの、また「松浦船」を詠ったものなどもあります。この地方が風光明媚(ふうこうめいび)で古くからの歴史に富み、多くの人々に親しまれ、かつよく知られていた、知られるようになった事を示すものです。

玉島川周辺の歌、巻5

  • 漁(あさり)する海人(あま)の児(こ)どもと人はいへど、見るに知らえぬ良人(うまひと)の子と
  • 玉島のこの川上(かわかみ)に家はあれど、君を恥(やさ)しみ顕(あらは)さずありき
  • 松浦(まつら)川川の瀬光り鮎(あゆ)釣ると、立たせる妹(いも)が裳(も)の裾濡(すそぬ)れぬ
  • 松浦なる玉島川に鮎釣ると、立たせる子らが家路(いへぢ)知らずも
  • 遠つ人松浦の川に若鮎(わかゆ)釣る、妹が手本(たもと)をわれこそ巻かめ
  • 若鮎(わかゆ)釣る松浦の川の川波の、並にし思(も)はばわれ恋ひめやも
  • 春されば吾家(わぎへ)の里の川門(かはと)には、鮎児(こ)さ走る君待ちがてに
  • 松浦川七瀬(ななせ)の淀(よど)はよどむとも、われはよどまず君をし待たむ
  • 松浦川川の瀬早み紅(くれない)の、裳(も)の裾濡(すそぬ)れて鮎か釣るらむ
  • 人皆の見らむ松浦の玉島を、見ずてやわれは恋ひつつ居(を)らむ
  • 松浦川玉島の浦に若鮎釣る、妹らを見らむ人の羨(とも)しさ
  • 君を待つ松浦の浦の娘女(をとめ)らは、常世(とこよ)の国の天娘女(あまをとめ)かも
  • 帯日売(たらしひめ)神の命(みこと)の魚釣(なつ)らすと、御立(みた)たしせりし石を誰(たれ)見き
  • 百日(ももか)しも行かぬ松浦路今日(けふ)行きて、明日(あす)は来(き)なむを何か障(さや)れる
  • 松浦縣(まつらがた)佐用比売(さよひめ)の子が領巾(ひれ)振(ふ)りし、山の名のみや聞きつつ居(を)らむ

松浦佐用比売の歌、巻5

  • 遠つ人松浦佐用比売夫(つま)恋に、領巾(ひれ)振りしより負へる山の名
  • 山の名と言ひ継(つ)げとかも佐用比売が、この山の上(へ)に領巾を振りけむ
  • 万代(よろづよ)に語り継げとしこの嶽(たけ)に、領巾振りけらし松浦佐用比売
  • 海原の沖行く船を帰れとか、領巾振らしけむ松浦佐用比売
  • 行く船を振り留(とど)みかね如何(いか)ばかり、恋しくありけむ松浦佐用比売
  • 音に聞き目にはいまだ見ず佐用比売が、領巾振りきとふ君松浦山

遣新羅使の歌、巻15

  • 帰り来て見むと思ひしわが屋外(やど)の、秋萩薄(あきはぎすすき)散りにけむかも
  • 君を思い吾(あ)が恋ひまくはあらたまの、立つ月毎(ごと)に避(よ)くる日もあらじ
  • 秋の夜を長みにかあらむ何(な)そここば、眠(い)の寝(ね)らえぬも独(ひと)り寝(ぬ)ればか
  • 旅なれば思ひ絶えてもありつれど、家にある妹(いも)し思ひがなしも
  • あしひきの山飛び越ゆる雁(かり)がねは、都に行かば妹に逢ひて来(こ)ね
  • 足姫御船(ふね)泊けてけむ松浦の海、妹が待つべき月は経(へ)につつ
  • 天地の神を祈(こ)ひつつ吾(あれ)待たむ、早来ませ君待たば苦しも

松浦船の歌、巻7・巻12

  • さ夜深(ふ)けて堀江漕ぐなる松浦船、楫(かじ)の音(と)高し水脈(みほ)早みかも
  • 松浦舟さわく堀江の水脈早み、楫取る間なく思ほゆるかも

大伴旅人は、神亀(じんき)5年(728)4月、太宰師(太宰府長官)として筑紫に赴任し、任期中には遥か遠くのこの松浦の地も訪ねました。太宰府の長官がはるばる遠隔の松浦地方まで来たのは、単なる遊行ではなく、鏡山や十坊山、城山の烽(のろし)や防人の巡察、軍事視察を目的とし、ついで民情視察に来たのであろうと考えられます。

松浦地方に来た旅人は鏡山に登り、松浦潟の絶景を愛で、佐用姫を偲んで歌を詠みました。

彼が松浦路を踏んだのは、恐らく天平2年(730)の春3~4月の頃と思われます。

こよなく松浦河の里乙女らを愛し、松浦路を楽しんだ大伴旅人も天平2年(730)大納言に言われて、帰京の途につきました。

彼は、風光にロマンに富んだこの松浦路を都に紹介してくれた最初の人物でしょう。

山上憶良(やまのうえのおくら)も松浦路を密か(ひそか)に愛し、憧憬(しょうけい)した一人です。生涯憶良は松浦路を踏まなかったのではないかとも考えられますが、旅人やそのほかの人から松浦の風光や、佐用姫の伝説、神功皇后の年魚釣りの伝説、また玉島川の清流と純情な美しい里乙女の話など聞いて、胸中松浦を慕い憧れながら、詩情を燃やして松浦に関する歌を詠んでいます。

憶良の歌は彼独特のもので、人情味あふれる現実的で切実な歌が多く、特にかの「貧窮問答(ひんきゅうもんどう)」は庶民の貧苦にあえぐ様を詠んだものとして有名です。

筑前「引津(ひきつ)の亭(とまり)」(福岡県糸島郡志摩町)を出港した派遣船は、海上の都合により肥前国松浦郡狛島亭に寄港しました。万葉集にみえる「肥前国松浦群狛島亭に船泊の夜はるかに海の波をのぞんで旅愁をかきたてた歌」とあるのは「遣新羅使(けんしらぎし)」一行の作歌です。すでに、この頃から神集島の湾は派遣船の寄港地となっていたのです。

「松浦船」を主題にした歌が万葉集に載せられていますが、ほかの大伴旅人や山上憶良らの秀歌に比べて、あまり知られていないのが現状です。

この二首とも場所も作者も不明ですが、ともに遣唐使船の官人達の歌であろうと推察されます。

地図・写真・統計資料など

玉島神社前にある万葉垂綸石公園(まんようすいりんせきこうえん)には、玉島川を詠んだ歌があります。

大伴旅人ら知識人が好んで訪れた玉島川。浜玉町にある虹の松原万葉の里公園には、当地で詠まれた歌を中心に6基の万葉歌碑が立っています。

(『唐津探訪』より)

神集島に7つある万葉集歌碑のうちの4つ。遣新羅使の一行が故郷をしのんで詠んだ万葉歌が刻まれています。

(唐津市フォトライブラリーより)

引用・参考文献(出典)

  • 『松浦の万葉』清水静男著(財)唐津市文化振興財団

参考文献について

参考文献については、近代図書館が所蔵している資料もあります。

資料についての問い合わせは近代図書館までお願いします。

電話番号:0955-72-3467

万葉集と松浦地方

万葉集と松浦地方PDFデータ(PDF:302KB)

万葉集と松浦地方PDFデータ(PDF:312KB)

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問い合わせ

文化振興課 

佐賀県唐津市西城内1番1号

電話番号:0955-53-7129