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更新日:2015年8月6日

唐津の祭り3・相知くんち

熊野神社、秋の大祭

「相知くんち」は10月の熊野神社秋の大祭です。御神興(ごしんこう)行列の供奉(ぐぶ)として行列の先頭を毛槍(けやり)を投げ合い、挟み箱(先箱)を担いで(かついで)相知町の宿通りを練り歩くのが市指定無形民俗文化財の「羽熊(はぐま)」です。

この「羽熊」が相知町で行われるようになったのには、次のような歴史があります。

元々、この「羽熊」の行列は唐津神社の秋の大祭である、唐津くんち(現在、国指定重要無形民俗文化財)の際に行われていたものです。江戸時代末期の安政年間(1854~1859)より毛槍や挟み箱を持ち、大名行列を模して唐津神社の御神輿を供奉する行列が唐津くんちの祭りの中で行われるようになります。

ところが、明治6年(1873)に唐津神社から当時の相知村の村社であった熊野神社に毛槍や挟み箱が譲られたことから、相知で大名行列が行われるようになります。(一説には、当初は相知村の石炭採掘会社に譲られ、その会社から熊野神社に寄贈されたとも言われています)
「羽熊」とは本来、中国・チベットに生息するヤクの尾の毛のことで白くて艶があることから槍の飾りなどとして使われています。このため、いつしか大名行列の毛槍のことも「羽熊」と呼ばれるようになり、相知町ではそれが転じて大名行列そのものを「羽熊」と言うようになります。

相知町の「羽熊」は明治16年(1883)に旧唐津大町年寄りの山内小兵衛によって、江戸末期の唐津くんちを偲んで(しのんで)描かれた『神祭行列絵図』にも描かれる先箱や毛槍の行進部分をそのまま継承した貴重な無形民俗文化財です。特に、毛槍を投げ渡しながら行進するという形は唐津城主の小笠原家の大名行列の形態を模倣(もほう)したものであることが考えられ、こうした毛槍を投げ渡しながら行進するという往時の行列の儀式を現代まで継承した行進は全国的にも非常に稀有(けう)な例です。(毛槍を投げ渡しながら行進する例は、他には岐阜県羽鳥群笠松町などで見られます)

エピソード・伝承・うんちくなど

宵山について

飾り山をライトアップして町内を巡業します。相知町の地形が盆地ということもあり、靄(もや)がかかった夜にライトアップされた山笠はとても幻想的です。ハッピ姿の奴(やっこ)の先導で江戸時代の大名行列を再現します。熊野神社で神前を終えて出発します。わらじ履きの奴が毛槍の「羽熊」や挟箱(はさみばこ)を持って掛け声に合わせてゆっくりと歩きます。羽熊は長さ3.45m、重さ20kgあるくるりと回して投げ渡す全国でも珍しい妙技が見所です。掛け声は「イーハーエー、ヤットコマカーセー、ヨーヨイヤーハーノーハー!!ヤッ!!ホイ!!」最後の「ヤッ!!ホイ!!」の後に毛槍を投げ渡します。

子供羽熊について

大人が持つ羽熊や挟箱を一回り小さくした物を持って練り歩きます。元気よく声を出して歩く姿は、和やかな雰囲気を作ります。

山笠について

高さが約7m(飾り部分の高さは約5メートル)あります。飾り部分は戦後、唐津市内の業者から借り受けていましたが平成11年から「製作技術を地元で受け継ぎ、手作りの山笠を曳こう!!」と一念発起し、相知町郷土芸能保存会「山笠の部」を中心に仕事の合間をぬいながら約1年かけて作り上げます。平成16年は加美(かみ)組山笠表が「衣川の戦い」、裏が「姉川の戦い」、志茂(しも)組山笠表が「西遊記」裏が「桃太郎」です。

地図・写真・統計資料など

相知町熊野神社の「相知くんち」

相知町熊野神社の「相知くんち」

相知町熊野神社の「相知くんち」

(唐津市フォトライブラリーより)

相知くんちの宵山

相知くんちの宵山

(唐津んもんだよりより)

引用・参考文献(出典)

  • 唐津観光協会相知支所HP
  • 唐津観光協会HP

参考文献について

参考文献については、近代図書館が所蔵している資料もあります。

資料についての問い合わせは近代図書館までお願いします。

電話番号:0955-72-3467

唐津の祭り3・相知くんち

唐津の祭り3・相知くんちPDFデータ(PDF:168KB)

唐津の祭り3・相知くんちPDFデータ(PDF:121KB)

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問い合わせ

文化振興課 

〒847-8511 佐賀県唐津市西城内1番1号

電話番号:0955-53-7129