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更新日:2015年8月6日

広沢局(ひろさわのつぼね)

天下人秀吉の寵愛を受けた松浦の美女

400年前、全国を平定した太閤秀吉は、唐天竺(からてんじく)までを征服し後陽成天皇を北京の国王にするという壮大な夢を描き、その実現のために名護屋の地に名護屋城を築城しました。文禄の役(ぶんろくのえき)の始まりです。馳せ(はせ)参じた大名の数は160、その軍勢は30万余、玄界灘に面した一寒村の名護屋は、一夜にして大軍事都市に変貌しました。

文禄元年(1592)4月24日、筑前深江に到着した秀吉は、翌25日、華やかに飾り立てた船で名護屋へ到着しました。上陸した秀吉は、黒々とした付け髭(ひげ)に、豪華な太刀を腰に付け、威風辺りを圧倒したと言います。家来達もそろいの猩々緋(しょうじょうひ)の羽織を着て、金箔をはり付けた槍を持って従いました。着飾った淀君(よどぎみ)や京極殿の顔も見られ、女房衆もあでやかな出で立ちで加わっていたかもしれません。

広沢局の誕生

ここは、波多三河守親の配下名古屋氏の居城、垣添城(勝男岳城)です。後に広沢局となる「弘子」は、城主名古屋経基の息女で、朝鮮出兵で水先案内の大役を務めた名古屋経述の妹です。芳紀(ほうき)まさに20歳の広子は、幼くして両親を亡くしましたが、気だて優しく聡明で、その美貌は松浦一と言われていました。

幼くして兄経述に大事に育てられた広子は、秀吉の目にとまり山里丸に召されると、淀君・松の丸(京極高次の妹)とともに、側室の1人として秀吉の寵愛を受けることになります。広子の美しさは「秀吉に初めてお目見えした時、陪席(ばいせき)した淀君や松の丸を瞠目(どうもく)たらしめた」(『春照る国』片岡鉄兵作)といいます。

名護屋城の山里丸は、本丸と三の丸の北側にある秀吉の居館で、書院や能舞台を備えた豪華な造りでした。『なごや読本』には「山里丸の建物は贅美壮麗(せいびそうれい)を極め、豊公御座の間、各部屋は巨匠の雄筆による花鳥の絵をもって飾られ、又、築山・泉水・遣り水等の風情も面白く、豊公のつれづれを慰めた」と書かれています。

広子は秀吉の寵愛を受け、山里丸で幸せな日々を送っていたが、文禄元年(1592)7月、秀吉の母大政所危篤の報せが秀吉のもとに届き事態は急変します。秀吉は直ちに大坂へ戻りました。大坂までの道中、秀吉は母の安否を気遣い神仏に祈りっぱなしでした。聚楽第(じゅらくてい)で母の死を聞くや、辺り構わず大声で泣き崩れ、遂には悶絶昏倒(もんぜつこんどう)し家臣の介抱で蘇生したといいます。それでも、秀吉は10月には名護屋に帰陣、山里丸の茶室開きを行ったり、本丸で能楽を催したりしていました。そこには秀吉に連れ添うように、広沢局と名を改めた広子の姿がありました。

文禄2年8月、大阪城へ戻っていた淀君に男の子が生れました。報せを受けた秀吉は,海路わずか10日で大坂へ帰りお拾(後の秀頼)と対面、再び名護屋へ帰陣することはありませんでした。

文禄3年(1594)3月2日、「朝鮮国ご案内」という重要な役目を負っていた広子の兄名古屋経述が病死するという悲劇が起こりました。突然の夫の死に動転した妻も翌日自ら命を絶つという二重の悲劇に遭遇した広子は、ただただ身の不幸に泣き伏すばかりでした。

眼病の平癒と広沢寺の誕生

たび重なる心痛で広子は眼病を患い霊験あらたかなる唐津市七山の七山郷の滝の観音で21日間、貞観和尚の教えと、大般若経と護摩祈祷(ごまきとう)、山伏貞観法師の努力の甲斐あり、みごと平癒(へいゆ)しました。喜んだ秀吉は、筑前の高祖(金剛兵衛尉盛次)作の名刀一振りをこの鳴神山に奉納しました。山里丸にも大坂や七山にむけ寺を建立し、寺号を七山の滝の観音の本尊の分霊を受け彼女の名を冠し池福山広沢寺と名付けました(慶長2年建立落慶)。

鳴神山福聚院は、この滝の観音で知られた修験道で、今は七山の池原に移っています。朝鮮出兵は明との和平交渉も決裂、慶長の役に入ります。秀吉はもう名護屋の地へ帰ることなく慶長3年(1598)8月18日、醍醐の花見を最後に伏見城で「つゆと落ちつゆと消えにし我が身かな、難波のことも、ゆめの又夢」と辞世の句を残し62歳の生涯を閉じました。秀吉の死を知った広子の嘆きはこの上なく、26歳で出家得度し、「妙廣禅尼(みょうこうぜんに)」と改め、秀吉や兄経述夫婦の菩薩を弔い(とむらい)、寛永14年、山里丸で64歳の生涯を閉じました。

広子(広沢院殿円窓智月妙禅尼)は「自分がこの寺を建立したのは、七山の滝の観音のおかげ、私の墓は七山の見える方向に」と告げて息を引き取ったといいます。今も、広沢寺の右手の丘に1つだけ東方を向いた墓があります。

広子が眼病平癒(がんびょうへいゆ)を喜び、詠んだ歌2首です。

  • くもりゆくまなこの底は鳴神の、光とともに晴るるみすがた
  • 姿こそ清げに写す水鏡、心のくもり澄み渡るらん

地図・写真・統計資料など

七山、滝の観音

七山、滝の観音

広沢局開眼400年記念像

山里丸、広沢寺への石段

山里丸

広沢寺への石段

引用・参考文献(出典)

  • 『西日本文化2010年4月号』
    ※「自然」の部「観音の滝」を参照
    ※「自然」の部「広沢寺のソテツ」を参照

参考文献について

参考文献については、近代図書館が所蔵している資料もあります。

資料についての問い合わせは近代図書館までお願いします。

電話番号:0955-72-3467

広沢局(ひろさわのつぼね)

広沢局(ひろさわのつぼね)PDFデータ(PDF:226KB)

広沢局(ひろさわのつぼね)PDFデータ(PDF:227KB)

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問い合わせ

文化振興課 

〒847-8511 佐賀県唐津市西城内1番1号

電話番号:0955-53-7129