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更新日:2015年8月6日

金助・吾助

命を投げ出し村を救った、金助・吾助

江戸時代の中ごろ、唐津領は天候不順による凶作が続きました。名護屋村でも田畑の作物は枯れはて、村人は木の実や葛の根、ひじき(海藻(かいそう))などを食べて飢えをしのいでいました。

しかし、このような不作の年にも藩は容赦なく年貢の取り立てを通告してきました。村では庄屋を中心に毎晩のように寄り合いを開き、このままでは飢え死にするばかりだ、村の窮状(きゅうじょう)を藩主に訴えて年貢を減らしてもらおうという事になりましたが、後の咎め(とがめ)を恐れて誰一人これを引き受ける者がいません。

そのような時、金助・吾助の2人の若者が、自分達には身よりの者もなく後の心配もないので、この役目は私達に任せてくださいと申し出てきました。
金助と吾助は、藩主が領内の巡視で佐志村に赴く(おもむく)事を知り直訴を決行しました。幸い願書は、藩主の目にとまり年貢米100石が減免されました。

しかし、当時直訴は天下のご法度でした。これを破った2人は捕らえられ、西の浜で処刑されました。

墓は、「方広山の西に葬ってほしい」という2人の遺言どおりに建てられ、そこには、竜泉寺大和尚が持ち帰った遺髪が葬られていると伝えられています。

地図・写真・統計資料など

金助・吾助の墓

金助・吾助の墓

(山田洋さん提供)

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電話番号:0955-72-3467

金助・吾助

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問い合わせ

文化振興課 

〒847-8511 佐賀県唐津市西城内1番1号

電話番号:0955-53-7129