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更新日:2015年8月6日

名護屋城跡(なごやじょうあと)

太閤の思い抱いて

文禄(ぶんろく)・慶長の役は16世紀末豊臣秀吉によって起こされた朝鮮半島、中国大陸への進出を目指したt戦いです。
戦いは前後7年にわたり、戦禍(せんか)は朝鮮半島全土に及びました。この戦争の出兵基地となったのが、肥前名護屋城でした。戦いには全国の主だった諸大名のほとんどが参集し、朝鮮半島に近く天然の良港をもつこの地に大都市が誕生しました。
名護屋城跡は、近世初頭の特徴をよく残す重要な城跡で総面積約17万平方メートルは当時としては大阪城に次ぐ規模でした。天正19年(1591)秋に始まった工事は、西国大名の分担によりわずか5か月足らずの翌年の春には主要部が完成したと言われています。
城の構えは中央最上段に本丸を置き、中段にはそれを取り囲むように、二の丸、三の丸、遊撃丸、東出丸、弾正丸、水手曲輪があり、下段に、山里丸、台所丸を配置しています。門は大手口の他、5か所あり、更に北側には鯱鉾池(しゃちほこいけ)と呼ぶ堀があります。
鯱鉾池より先、海までは最盛期人口が10万人を超えていたと言われる城下町が広がっていました。

また、城跡周辺約3kmの圏内に陣屋があり、それは鎮西町を中心として呼子町、玄海町にまで広がっており、陣主が推定されているのは約120か所のうち半数で石塁や土塁などの残存が確認されています。
そのうち、23の陣跡が特別史跡指定とされています。

このような歴史のある城跡の天守台跡からの眺望は素晴らしく、快晴の時は壱岐をも見える広大なパノラマが楽しめます。馬渡島(まだらしま)、加唐島(かからしま)、松島、小川島、加部島(かべしま)など多くの島々が青々とした玄界灘に広がり、秀吉の大陸への燃える思いを味わうことが出来ます。

青木月斗(あおきげっと)の句(S8)「太閤が、睨(にら)みし、海の霞かな」

エピソード・伝承・うんちくなど

一方では文禄・慶長の役はそれまでの日本列島と朝鮮半島との長い歴史的交流関係を断絶させる不幸な出来事であったことを忘れてはなりません。名護屋城跡並びに陣跡は、この不幸な歴史の証人であるとともに地域の郷土史を物語る大切な文化財です。

地図・写真・統計資料など

名護屋城跡

名護屋城跡

(唐津新聞社より提供)

名護屋城跡(天守台跡)

名護屋城跡(天守台跡)

名護屋城跡(石垣)

名護屋城跡(石垣)

(唐津市フォトライブラリーより)

引用・参考文献(出典)

  • 鎮西町観光協会パンフレット/名護屋城趾ご案内
  • 鎮西町リ-フレット/特別史跡名護屋城跡並びに陣跡

参考文献について

参考文献については、近代図書館が所蔵している資料もあります。

資料についての問い合わせは近代図書館までお願いします。

電話番号:0955-72-3467

名護屋城趾

名護屋城趾PDFデータ(PDF:274KB)

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問い合わせ

文化振興課 

〒847-8511 佐賀県唐津市西城内1番1号

電話番号:0955-53-7129