• もっと知りたい 唐津まちナビ
  • イベントカレンダー
  • 施設を探す・予約する
  • よくある質問
  • 各種相談

ここから本文です。

更新日:2015年8月6日

唐津藩水軍(船ぞろい絵図)

唐津藩の水軍については、島原の乱で唐津藩からも軍船を出していて寺沢氏の時にはすでに水軍の組織は成立していました。
また、正保元年(1644年)6月8日の朝唐津湾の高島と姫島との間に約90メートル程ある黒船を見つけて、黒田藩、平戸藩、小倉の小笠原、防長の毛利まで出陣し、寺沢、黒田の数百隻の船でとりまき、柴船、草船に火を付けて沈めてしまいました。

唐津藩水軍(船ぞろい絵図)の絵図面は江戸後期の物ですが、このようなデモンストレーションが何日ごろから催されていたかは資料がないのでわかりません。考えられるのは、2代目藩主大久保の時、兵庫の明石から転封により100名以上の船手の者を連れて来ていることです。大久保の前任地は海がないので、転任地の明石で船手を養成し、将来の国防、鎖国を徹底するための幕府の考えもあったと思われます。何故なら大久保の次の国替の時、船手は「立切り」と称してそのまま明治維新まで200年間、唐津の海を守りつづけているからです。そのような中で、いつしか船ぞろいができたのではないでしょうか。

また、この絵図は現在の陸上自衛隊が横須賀軍港で行っている観艦式のようなもので、松浦川の河口部に藩の軍船が勢ぞろいしています。旗艦(きかん)は藩主の衛座船正中丸(60挺立(ちょうだて))高寿丸(32挺立)清手丸(50挺立)末広丸(22挺立)これらの大型船の周りに曳行船、ほかに小型船が従い『先勢63隻、後勢71隻』と記されています。

高寿丸の雛型図は長さ18メートル、幅5.4メートル、高さ3.6メートルの大きさで約300石(45トン積)位あり砲座(ほうざ)はありません。
藩の船は船奉行が統率し、その下に大船頭(おおせんどう)、小頭(こがしら)、船目付(ふなめっき)、小船頭(しょうせんどう)、物書、楫取(かじとり)、満嶋番、唄上、内詰、艪口(ろぐい)、乗組、平組、用番になっています。船奉行は、藩主の交替によって替っていきます。船手は絶えず訓練が必要で、船唄(歌詞不明)を練習し、太鼓を叩きながら船路稽古として神集島辺りまで行っていたようです。
絵図は、天保年間と思われます。

エピソード・伝承・うんちくなど

高寿丸絵図

松下麗さん提供:小島家資料より

地図・写真・統計資料など

松下麗さん提供:小島家資料より

参考文献について

参考文献については、近代図書館が所蔵している資料もあります。

資料についての問い合わせは近代図書館までお願いします。

電話番号:0955-72-3467

唐津藩水軍(船ぞろい絵図)

唐津藩水軍(船ぞろい絵図)PDFデータ(PDF:229KB)

Adobe Acrobat Readerのダウンロードページへ

PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe Acrobat Readerが必要です。Adobe Acrobat Readerをお持ちでない方は、バナーのリンク先から無料ダウンロードしてください。

問い合わせ

文化振興課 

〒847-8511 佐賀県唐津市西城内1番1号

電話番号:0955-53-7129