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更新日:2015年8月6日

肥前唐津宇木出土品(ひぜんからつうきしゅつどひん)

鏡山と久里を結ぶようにして松浦川に平行して砂丘列が走っていますが、この砂丘列は縄文時代中期から後期に形成され、その砂丘列上には鏡の各遺跡群や原遺跡、中原遺跡等の著名な遺跡が立地しています。

この砂丘列の東側、飯盛山と夕日山の間に半田川を中心として縦長に沖積平野が広がっています。宇木汲田(うきくいでん)遺跡は夕日山(標高272.3m)から北東に伸びた小丘陵の全面に広がっています。世界に数例のみ確認されている触角式有柄銅剣(しょっかくしきゆうへんどうけん)は、この夕日山の北端に当たる柏崎丘陵から発見されています。

この重要文化財に指定されている銅剣・銅矛(どうほこ)は、昭和5年(1930)に耕地整理に伴う排水溝の開削時に発見されました。山浦虎太が細型銅剣・細型銅矛各1口を発見、同一箇所で原田磯男が甕棺(かめかん)を発見し、棺内から細型銅剣・細型銅矛各1口・硬玉製勾玉(こうぎょくせいまがだま)2個・碧玉製管玉(へいぎょくせいくだだま)30数個が出土しています。

森本六爾(もりもとろくじ)により、同年に紹介されています。細型銅矛は長さ40.7cm、32.6cmでいずれも切先が鋭く、背に縞(しま)を鋭く研ぎだしています。袋部は関まで深く開き下端に一段高い節帯を作り、上側に半環状の耳を付けています。細型銅剣は一つは長さ32.2cmで切先鋭く縞を研ぎだし、茎は短いです。もう一方は切先を欠き、長さ18.0cmです。ともに精巧な寿造技術、鋭い研ぎによる仕上げは初期の形態の特徴をもつもので、朝鮮半島からの舶載品(はくさいひん)である可能性が強いものです。また、管玉は小型で勾玉も縄文時代の形態を遺す原初的な特徴が見られます。

また、この同じ耕地整理中に宇木村の住民により幅20間(約54m)、長さ40間(約73m)の範囲に貝の散布が確認され、昭和13年の2回にわたる松浦史談会の貝塚調査へと生かされます。
昭和13年2月5日に松浦史談会では貝塚に幅2間(約3.6m)、長さ3間(約5.4m)の発掘壙(はっくつこう)を設け、ついで5月8日には貝塚を発掘し石斧(いしおの)、片刃石斧、イノシシアゴ、弥生土器を検出しています。

戦後の昭和32年(1957)に東亜考古学会により宇木汲田遺跡の調査が行われ、55基の甕棺(かめかん)を発掘・調査し、多紐細文鏡1・銅剣5・銅矛2・銅戈2・銅釧5・勾玉7などが発見されました。
続いて昭和40、41年(1965、1966)の九州大学、パリ大学を中心とする日仏合同調査において甕棺墓74基、土壙墓3基の調査を行い銅剣9・銅矛5・銅戈2・勾玉、管玉を検出しました。
この宇木汲田遺跡では、10次にわたる調査がおこなわれ確認された遺構は甕棺墓129基・土壙墓3基にのぼり、銅剣9・銅矛5・銅戈2・勾玉、管玉が出土し、ほか貝塚・住居跡を確認されています。時期も弥生時代前期から後期にいたる遺跡であることが明確となりました。指定されている銅剣・銅矛は弥生前期に比定されるもので、唐津平野が大陸文化流入の門戸として日本における初期青銅器文化の成立に重要な位置を占めたことを示す遺物と言えます。

宇木汲田遺跡甕棺配置図

 

宇木汲田遺跡甕棺配置図

昭和58年7月24日指定
唐津市教育委員会所蔵

 

地図・写真・統計資料など

細型銅矛・細型銅剣

細型銅矛・細型銅剣

多紐細文鏡

多紐細文鏡

玉類

玉類

肥前唐津宇木出土品

(『唐津市の文化財』より)

引用・参考文献(出典)

  • 『唐津市の文化財』(唐津市教育委員会)

参考文献について

参考文献については、近代図書館が所蔵している資料もあります。

資料についての問い合わせは近代図書館までお願いします。

電話番号:0955-72-3467

肥前唐津宇木出土品(ひぜんからつうきしゅつどひん)

肥前唐津宇木出土品(ひぜんからつうきしゅつどひん)PDFデータ(PDF:280KB)

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問い合わせ

文化振興課 

〒847-8511 佐賀県唐津市西城内1番1号

電話番号:0955-53-7129