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更新日:2016年2月9日

唐津市の景観重要建造物

景観重要建造物とは

外観に地域の自然・歴史・文化の特徴を持ち、地域の個性ある景観づくりの核となる建造物を、今後も維持・保全・継承を行っていくために、景観行政団体の長である市長が指定するものです。

根拠法(景観法第19条)

所有者の意見を聴いて、景観行政団体の長が指定し、地域の個性ある景観づくりの核としてその維持、保全および継承を図るもの。

国土交通省令で定める基準(規則第6条)

  • 地域の自然、歴史、文化からみて、建造物の外観が景観上の特徴があり、良好な景観の形成に重要なもの
  • 道路そのほかの公共の場所から公衆によって容易に望見されるもの

景観重要建造物に指定されたら

個人の所有物であっても、市長の許可を受けなければ、建造物の増築・改築や外観の変更などを行うことはできません。

景観重要建造物の規定に適用されないもの

文化財保護法により指定されている国宝、重要文化財、特別史跡天然記念物などは、景観法の景観重要建造物に指定することはできません。例えば、国指定の重要文化財である旧高取邸は指定できません。

唐津市の景観重要建造物

唐津市が指定している景観重要建造物を紹介します。

  1. 唐津城天守閣
  2. 旧中尾家住宅
  3. 旧唐津銀行本店本館

唐津城天守閣

概要

指定番号

第1号

指定年月日

平成23年1月24日

名称

唐津城天守閣

所在地

唐津市東城内8番1号

範囲

天守閣(延床面積1,329.16平方メートル)

所有者

唐津市

唐津城は、別名舞鶴城とも呼ばれ、唐津藩の初代藩主である寺沢志摩守広高によって、慶長7年(1602年)~13年(1608年)の7か年をかけて築城された城です。

唐津城の築城と、その城下町の建設によって唐津の町割りの基礎が形作られ、現在でもその町割りの姿が受け継がれている。唐津城には、天守台が築かれているにもかかわらず、天守閣が築かれた明確な証拠が残されておらず、現在の天守閣は昭和41年(1966年)に観光目的で建設されたものです。

景観的特徴

唐津市の中心市街地の北側に位置する城内地区は、石垣や土塀などからなる歴史的な街並みや、水と緑に囲まれた潤いのある地区で、城下町としての風情を残す観光唐津を代表する空間になっており、唐津城は、この城内地区のシンボル的建造物として市民はもちろん来訪者に親しまれています。

また、海、山、道路、河川など、市内各所に多くの視点場を持ち、唐津のシンボル、ランドマークとして親しまれている建造物です。

旧中尾家住宅(鯨組主中尾家屋敷)

概要

指定番号

第2号

指定年月日

平成23年1月24日

名称

旧中尾家住宅

所在地

唐津市呼子町呼子3750番地3

範囲

主屋、勘定場、角倉、離座敷、裏二階、

総延床面積1,166.49平方メートル

敷地面積1,474.42平方メートル

所有者

唐津市

そのほかの指定

唐津市指定重要文化財

二十二世紀に残す佐賀県遺産

呼子は中世以来の港町ですが、江戸時代には捕鯨業の拠点、唐津藩の産物の集積地としてさらに繁栄しました。

旧中尾家住宅は、唐津藩の重要な産業であった捕鯨業を営んでいた鯨組の組主、中尾家の住宅として建てられた建物です。とくに主屋は、建築年代が18世紀前~中期にさかのぼるといわれており、古い時代の町屋建築として貴重な建築物です。

主屋以外に現在残されている4棟の建物は、明治10年に中尾家から建物を譲られた山下家が酒造業を営むために建築したものですが、天保11年(1840年)刊行の捕鯨図説「小川島鯨鯢合戦」に描かれた屋敷地の鳥瞰図とよく符合しており、鯨組主当時の建物景観を踏襲して建てられていると思われます。

主屋、勘定場、繋屋、新二階、裏二階、角倉、離屋敷の7棟からなっていましたが、現在は繋屋と新二階が老朽化のため取り壊され、主屋、勘定場、裏二階、角倉、離屋敷の5棟が残っています。

景観的特徴

現在、呼子朝市が行われている松浦町は、中尾家の「新屋敷」と呼ばれていた前作事場の跡地であり、中尾家の廃業後に町並みが形成された場所です。旧中尾家住宅は、その朝市通りを代表する建造物であり、海士町や先方町に残る漁師の町並みとともに、港町呼子の歴史と景観を形作ってきたシンボル的な建造物です。

旧唐津銀行本店本館

概要

指定番号 第3号
指定年月日 平成23年1月24日
名称 旧唐津銀行本店本館
所在地 唐津市本町1513番地15
範囲 本館(延床面積916.99平方メートル)
所有者 唐津市
そのほかの指定

唐津市指定重要文化財

二十二世紀に残す佐賀県遺産

旧唐津銀行本店は、明治45年(1912年)に建てられた銀行建築で、設計は清水組(現在の清水建設株式会社)の技師で、唐津出身の建築家辰野金吾(東京駅、日本銀行本店の設計者)の教え子である田中実です。

唐津銀行の頭取大島小太郎は、唐津藩の英語学校、耐恒寮で辰野金吾と共に学んでおり、建物の設計には辰野金吾が顧問として関与しているといわれています。

当時の唐津地方は、炭鉱と、そこから産出される石炭の積み出し港として繁栄しており、石炭の輸送のために鉄道や港が整備されるなど近代化が進んでいました。旧唐津銀行本店の建物は、石炭によって繁栄していた近代唐津の象徴ともいえる建物です。

景観的特徴

旧大通りの街角に建ち、煉瓦造りに当時最先端素材であったタイル張で、赤煉瓦調タイルに白い石を帯状にめぐらせ、屋根の上に尖塔を乗せる、辰野式の特徴が見られます。

建物が位置する大手通りや周辺の中町通りの商店街は、大正・昭和の街並みを再現したファサード整備を実施しており、地域の景観形成を特徴付けるシンボル的な建造物です。

問い合わせ

都市計画課 

〒847-8511 佐賀県唐津市西城内1番1号

電話番号:0955-72-9135