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更新日:2020年1月1日

国指定史跡 菜畑遺跡

菜畑遺跡は、唐津市街地の南部砂丘列と呼ばれる古砂丘列の南側に形成された干潟を見下ろす丘陵の南斜面に住居を構え、谷間に水田を営んでいました。このような立地は、初期の稲作遺跡である市内の宇木汲田遺跡や、福岡県糸島市曲り田遺跡などの玄界灘沿岸では共通のものです。

最古の水田跡は、今から約2500~2600年前の縄文時代晩期中頃のもので、干潟後背の海水の入り込まない谷間地の中央部に幅1.5~2.0mの水路を掘り、この両側に土盛りの畦によって区画された小規模(10~20平方メートル)のものでした。丘陵部には住居跡があり、その端部には土止めの杭列も設けられていました。農耕具としては石庖丁、扁平片刃石斧、蛤刃石斧、磨製石鏃などが出土しています。

同じく晩期終末にも2つの時期の水田跡が確認されました。前の時期と同じ特徴をもちましたが、農耕具は種類・数共に多くなり、木製の鍬、えぶり、馬鍬(又鍬)、抉入柱状片刃石斧などが加わります。

弥生時代のものになると、水田跡は矢板・杭を大量に用い大規模なものになり、農耕具も全種類大量に出土しています。

炭化米プラント・オパール分析法による研究では、縄文時代晩期には「しいな」が含まれ、反当たり収量が極めて少なかったことが予想されます。逆に弥生時代になると、品種改良が進み、しいなはなく、収量も大きく増えたことが分かりました。

調査によって縄文時代晩期から弥生時代中期にかけての数期にわたる変遷が明らかになり、現在確認できる日本最古の水田跡として注目を集めることとなりました。

現在は竪穴式住居や水田が復元され、資料館(末盧館)も建設されています。

 

菜畑遺跡復元水田

復元された水田跡

発掘された水田跡

水田跡

 

 

唐津市菜畑字松円寺山3355-1

 

国指定年月日:昭和58年5月11日

種別:史跡

問い合わせ

生涯学習文化財課 

〒847-8511 佐賀県唐津市西城内1番1号

電話番号:0955-72-9171