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更新日:2019年4月2日

「唐津城跡」を唐津市史跡に指定しました

唐津市教育委員会では、唐津城跡本丸がある満島山一帯を「唐津城跡」として唐津市史跡に指定しました。唐津城跡

指定した市史跡の概要

種別

唐津市史跡

名称

唐津城跡

所在地

唐津市東城内191番外5筆

(唐津城跡本丸が所在する満島山一帯)

指定年月日

平成31年3月29日

所有者の住所および氏名または名称

東京都千代田区霞が関3丁目1番1号財務省

唐津市南城内3番13号唐津神社宮司戸川忠俊

唐津市西城内1番1号唐津市長峰達郎

形状および特徴

唐津城は、唐津湾に臨む満島山(標高42m)山頂部を本丸とし、南西に広がる砂丘上に二ノ丸、三ノ丸が連なる平山城である。満島山の東西に広がる松原を翼に見立て、舞鶴城とも呼ばれる。

慶長7~13年(1602~1608)に寺沢志摩守広高により築かれたと伝えられている。正保4年(1647)の堅高死去に伴う寺沢家断絶により、当該期の史料が残されておらず、築城当時の具体的な状況は不明である。その後唐津藩では大久保・松平・土井・水野・小笠原が入転封を繰り返す。明治4年(1871)の廃藩置県により唐津藩は解体され、明治6年(1873)の廃城令により、唐津城は廃城となる。明治10年(1877)には舞鶴公園となり、昭和41年(1966)の天守閣建築をはじめ、城跡内各所で櫓等の整備が進められ、現在に至る。

唐津城跡本丸が所在する満島山では、最上段の本丸と、その南にある二ノ曲輪と呼ばれる一段低い平坦面があり、搦手(からめて)にあたる北西部には両郭を繋ぐ帯曲輪が南北に延びている。さらに山裾海岸部には、満島山を囲むように腰曲輪が広がっている。

平成20年度(2008)に着手した唐津城石垣再築整備事業では、本丸の3か所で櫓台や石塁を、また大手門を構成する櫓台や門礎石を検出し、絵図に描かれた江戸時代の具体的な遺構が初めて確認された。天守台周辺では、現況石垣に先行する埋没した旧石垣を検出し、金箔瓦が出土するなど、名護屋城に関連する調査成果が得られている。これにより、唐津城が築城されたとされる慶長7~12年(1602~1608)より前に、豊臣政権による何らかの拠点が存在していた可能性も指摘され始めている。

指定の事由

唐津城跡は、唐津藩の中枢となる城郭である。当時の堀割、町割は現代も踏襲されており、現代唐津の基礎となった重要な遺跡である。

江戸時代の絵図に描かれた櫓(櫓台)や塀(石塁)、大手門(櫓台・門礎石)を検出するなど、当該期の重要遺構が確認されている。また、天守台周辺で発見された旧石垣は、豊臣政権の影響が想定される重要な遺構である。

江戸時代の石垣遺構などが各所で見られ、また本丸では築城期の遺構が発見されるなど、重要な遺構が残存している。唐津城跡は、近世唐津の歴史を把握するうえで最も重要な遺跡である。

 

問い合わせ

生涯学習文化財課文化財調査係

〒847-8511 佐賀県唐津市西城内1番1号

電話番号:0955-72-9171