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更新日:2020年11月5日

病と闘いながら数々の短歌を残し、誇り高く生きた歌人、津田治子

呼子町出身の歌人、津田治子を知っていますか。

呼子町・尾ノ上公園には、津田治子の短歌が刻まれた歌碑が2基あります。

津田治子歌碑

津田治子歌碑2

津田治子は、明治45(1912)年に呼子町(当時は呼子村)で生まれました。

18歳でハンセン病と宣告され、23歳の時に熊本県の病院に入院。医師の勧めでキリスト教の洗礼を受けました。昭和13(1938)年に短歌結社「アララギ」に入会し、歌人・土屋文明に師事。病と闘いながら数々の歌を残しました。

和30(1955)年、717首を収めた「津田治子歌集」を出版。精力的に自己表現を続け、誇り高く生き抜くも、昭和38(1963)年、腹膜炎によって亡くなりました。享年52歳。

歌碑に刻まれている歌

呼子町・尾ノ上公園にある歌碑には、次のように刻まれています(原文のまま)。

父の郷が生まれたる松浦郡子の町がえて恋(こほ)しき

和35(1960)年に呼子町方面へ旅した時に詠んだ歌

現身(うつしみ)にブの終わりの倖(しあわせ)はらずともよしぬびてゆかな

家・大原富枝の小説「忍びてゆかな説津田治子」のタイトルに引用された歌

苦しみのはまるときにしあはせのはまるらしもたじけなけれ

病の苦悩を歌に昇華させ、力強く生き抜いた

 

 

【この記事は2020年10月29日に新規掲載】

 

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呼子市民センター産業・教育課 

〒847-0392 佐賀県唐津市呼子町呼子1995番地1

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