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病と闘いながら数々の短歌を残し、誇り高く生きた歌人、津田治子
呼子町出身の歌人、津田治子(つだはるこ)を知っていますか。
呼子町・尾ノ上公園には、津田治子の短歌が刻まれた歌碑が2基あります。


津田治子は、明治45(1912)年に呼子町(当時は呼子村)で生まれました。
18歳でハンセン病と宣告され、23歳の時に熊本県の病院に入院。医師の勧めでキリスト教の洗礼を受けました。昭和13(1938)年に短歌結社「アララギ」に入会し、歌人・土屋文明に師事。病と闘いながら数々の歌を残しました。
昭和30(1955)年、717首を収めた「津田治子歌集」を出版。精力的に自己表現を続け、誇り高く生き抜くも、昭和38(1963)年、腹膜炎によって亡くなりました。享年52歳。
歌碑に刻まれている歌
「父の郷 わが生まれたる松浦郡 呼子の町が 見えて恋(こほ)しき」
昭和35(1960)年に呼子町方面へ旅した時に詠んだ歌
「現身(うつしみ)に ヨブの終りの倖(しあわせ)は あらずともよし しぬびてゆかな」
作家・大原富枝の小説「忍びてゆかな 小説津田治子」のタイトルに引用された歌
「苦しみの きはまるときにしあはせの きはまるらしも かたじけなけれ」
闘病の苦悩を歌に昇華させ、力強く生き抜いた










