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思い出を元気に語られる俊郎さん
相知町千束の秀嶋(島)俊郎さん(95歳)。俊郎さんが3歳11か月の時、警察官だった父十郎さんは、27歳で殉職しました。
警察官最高賞の「功労記賞」
昭和6年11月16日に、現在の鳥栖市で窃盗事件が発生。十郎さんは窃盗犯と格闘し、連行中に刃物で刺されました。
命がけで任務を全うした行動は「警察官の鏡」として、内務大臣から警察官最高賞である「功労記賞」を佐賀県警で初めて授かりました。
当時、葬儀が執り行われ、多くの参列者が十郎さんの死を悼みました。
92年前、葬儀には多くの参列者の姿があった
亡くなった現場にはその後、有志らにより慰霊碑が建立され、後に道路拡張に伴い神社境内に慰霊碑は移されました。
地元相知町横枕にも地元の人から土地が寄贈され、桑畑を整備して昭和15年に慰霊碑が建立されました。
現在も命日には、地元有志、警察関係者らが慰霊祭に参加拝礼しています。佐賀県内で慰霊碑が2か所に建立されるのは極めて稀です。
父の葬儀の際、母に抱かれた俊郎さん
また、県警察学校には十郎さんが最期に着用していた制服が展示してあり、警察官を目指す若い人たちにも功績は語り継がれています。
父が亡くなったあと、俊郎さんは母と父の兄夫婦のもとで成長し、唐津実業高校(現唐津商業高校)へと進学されました。戦時中の学徒動員では、伊万里市の浦ノ崎の造船所で働き、戦時下、繰り上げ卒業したとのことです。
鳥栖の慰霊碑は警察OBらにより今も管理されている
父の意思を継ぎ、約2年半警察官として警察本部の特別高等警察(特高課)の責務を担い、長崎原爆投下直後、長崎支援に派遣され職務を全うされました。
戦後は復職せず長年農業に従事し、現在、介護のデイサービスに参加しながら過ごされています。
相知町横枕の慰霊碑
昭和初期から令和へと激動の時代を駆け抜けてこられた俊郎さんは、現在、野菜の苗を買ってきては、自宅で長男夫婦の協力のもと野菜を育て、平穏な日々を送られています。
終戦から78年目の今夏。広島、長崎原爆の日、終戦記念日をもうすぐ迎えます。
(取材地:相知町千束、横枕)